白坂リサの物語(ストーリー)

ニュースレター第一号。まずは私の「サバイバル」から。
白坂リサ 2025.12.04
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この配信は、私の現在進行形の「挑戦」だ。

私は仙台二高という、東北屈指の“偏差値至上主義”高校に通っていた。

とくにコロナ禍で「密」を避けることが徹底され、あらゆる行事がなくなった。

時代の流れにまで従順な「いい子」だった私たちは、バラバラな個人として、ひたすら「時代」を耐え忍び、過ぎ去るのを待ちながら、「いい大学に行けば」「医学部に行けばきっと大丈夫」と信じて毎日机に向かっていた。多くの人が、人知れず孤独に耐え、限界を感じると学校を休んでいた。

そんななか、ぽつりぽつりと1週間・2週間、学校に来ない人も増えてきて、あんなに明るかったあの子が、テストの点数を自虐して笑っていたあの子が、とうとうクラスから姿を消した。

彼らの選択は、「生き延びるため」のものだった。

しかしそこに至るまで、どんな苦しみが、どんな葛藤があっただろう。

「高校中退」──本当にそれしか選択肢がなかったのだろうか。

不登校は過去に類を見ないほど増加している。

文部科学省の調査では、「何らかの心理的・情緒的・身体的、あるいは社会的要因・背景により、登校しない/したくともできない状況にあり、年間30日以上欠席した児童生徒(病気や経済的理由によるものを除く)」を不登校と定義している。

小中高全体で見ると、平成25年度には小学生約2.4万人・中学生約9.5万人だったが、令和6年度には小学生約13.8万人・中学生約21.6万人と大幅に増加した。高校生も、いったん横ばいになったあと再び上昇傾向に転じ、近年は6万人以上に達している。とくに小学生の増加が顕著で、この10年で5倍以上となり、学校不適応やメンタル面の課題は、いまや社会的にきわめて重いテーマになっている。

じつは、かくいう私も、高校1年のころから「学校をやめたい」と願っていた一人で、図書室登校をしていた時期もある。「学校に行きたくない」と毎朝母親に懇願し、布団から出るのを拒否していたことで親子関係も悪化した。

行政が提供する電話相談に何度電話をかけたかわからない。多くの相談員は、高校生である私の心境をあざ笑うかのように、

「誰からも身体的な暴力受けていないのであれば何もできない。」

「きっと大丈夫だよ。」

と言った。私の悩みを鼻で笑ってくる大人もいた。

民間で相談を行っている機関に電話相談をすると、番号を悪用されたらどうするんだと「大人」にますます叱責された。日常の悩みを密かに記していた雑記帳も、「大人」にこっそり覗かれていた。

逃げ場がないと思った。辛さをだれにもわかってもらえない。

「学校やめたければやめればいいじゃないか。通いたくても通えない人もいるんだ」

「毒親なら家出するか、児相に行けばいい」

と言う人もいる。しかし現実は、そう理屈どおりにはいかない。

実際には、経済的・精神的な理由から「家」や「学校」を出た先で生き延びられるかは分からない。また、「言葉による暴力」が虐待認定されるケースは多くはなく、「とくに酷いことをされたわけでもないがしんどい」という、言葉にしづらい状態の場合もある。

2022年1月、共通テストの会場だった東京大学前で、進学校に通っていた当時高校2年生の少年が、その場にいた人びとを刺した。

報道によれば、少年は医師になるため東京大学理科三類を目指していたが、成績が振るわなくなり、「理Ⅲに行けない自分には価値がない」と感じ、「人を殺して罪悪感を背負って死のうと考えた」といった趣旨の供述をしたとされている。裁判で彼の両親は、進学先や将来の職業について強要したことはなく、息子の価値観は事件後に初めて知ったと言った。

報道ベースの情報であり、実際のところは当事者にしか分からない。しかし、少年の言葉は、私の胸をかすめた。すぐそばを通り過ぎていったような気がした。

中高時代、私は「文武両道」を至上価値におき、「夢」に向かって奮闘していた。それは、親や教員から吹き込まれ、与えられてきた、世渡りのための「安全なレール」だった。しかし、そのレールから落っこちてしまったとき、「大人」は私たちを救ってはくれなかったのである。

私は高校に脚が向かなくなったとき、「勉強のできない自分には存在価値がない」という考えに支配されていた。

高校3年の5月、私たちにとって「頭の良さ」の基準となり、価値観を定めているこの「学習指導要領」とは、いったい何なのだろうと思った。それを問い直したかった。同じ、いわゆる「進学校の落ちこぼれ」たちと一緒に。

そこで、校内愛好会「この国の学校制度を考える会」を、一人で立ち上げた。

しかし、「学校」より大きな「社会」に目を向けてみようと皆を励ますために作った、「参院選の仕組み」を解説するポスターは、教員から掲示をやめるよう求められてしまう。公民の教科書に書いてあるような内容にもかかわらず、「政治的活動」だとされてしまったのだ。教員に何を言っても聞く耳を持ってくれなかったので、「おかしい」と思い、この出来事をSNSに投稿したところ、バズってしまった。私の活動はメディアでも少し話題になった。

校内からの反応は、意外なものだった。同じ高校の生徒同士でつながっていたSNSでは、

「愛校心がない」

「燃やせば(炎上させれば)先生動くだろ理論やめろ」

「変な名前の愛好会できてたから、それの中身かな」

といった声でタイムラインがいっぱいになった。

しかし彼らの普段の投稿を見てみると、おそらく学校の勉強がうまくいっていない様子で、自らの尊厳を守るかのように頻繁に自虐ネタを投稿していた。

ほんらい私が連帯したかった人たちだ、と思った。

その後、私のSNSでの左派的な発信が学校の生徒に見つかり、「反日左翼だ、島流しにしろ」などと、連日引用投稿でネットいじめのようなことを受けた。常に「話題の人」だった一方で、クラスでは浮き、数人の友人を除いて私にかかわろうとする人はいなかった。小学校からの友達も、挨拶をしてくれなくなった。

後から聞いた話によると、高校2年生のときに母親が政治系の発信活動を行っている男性と再婚し(高校3年生のときに私の名字が変わった)、それをきっかけに「リサは再婚相手に政治的に洗脳されたんだ」と噂されていたらしい。

会の活動は続けようとしたが、一部の先生からもいやがらせを受け、学校にいることがつらくなり、ますます脚が向かなくなった。

親に「学校に行きたくない」と言えばまた不用意に揉めるとわかっていたので、朝学校に行くふりをして家を出た後、古書店や美術館をうろつき、公園で弁当を食べていた。

その後、私は逃げるように、総合型選抜で大学に進学した。大学に入ればなにか変わるだろうと思って。

──しかし、現実は変わらなかった。

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