「差別するな」の明るさーー突撃❗️「川崎駅前読書会」主催者取材記録
新大久保から川崎へ——600回の読書会
川崎駅前の昼は騒がしい。私はイヤホンをしながらその光景を懐かしむ。私もかつて居た街だ。
アトレを脇目にエスカレータを降りると、イヤホン越しにギターの音色が聴こえてきた。思わず片耳だけ外す。拍手が聞こえる。もう終わってしまった。でもたしか、このあたりのはず。
喫煙所のあたりを散策した後、振り返った後方に、人が集まっているのが見えた。よく見ると、人が座って本を読んでいる。ここだ。
折りたたみ椅子に3、4人が並び、その脇に立つ人が何人かいる。各々が黙って本を読んでいる。プラカードが数枚立てかけられ、「差別は恥」の文字が目に入った。
立っていた男性陣の1人に声をかけられる。名刺を渡すと、少し話し合った後で取材の許可が出た。
プラカードを横目に、話を聞くためしゃがもうとすると折りたたみの椅子を勧められた。
応じてくれたのは主催者の木村夏樹氏だ。周囲の喧騒をよそに、木村氏は話し始めた。何かに抗議している人の感じはない。むしろ、明るくからっとしている。しかしそのなかに、文鎮のような重さが居座っているのを感じた。
2013年の新大久保から、もう13年が経つ。在特会のヘイトデモに対するカウンター活動の発展として始まったその読書会は、2020年冬の初開催から600回目を超えた。周知なしに行われるヘイト街宣に「どうすることもできない」限界を感じ、街頭でのゲリラ的なヘイト街宣を監視する目的で活動を始めた。「ずっと監視し続けるのは疲れてしまう。文化的なやり方があったらいいと思った」。ナチスが本を燃やした歴史を想起し、「本を読むことで差別やヘイトと戦えないか」と発想。その着想に、私は素直に頷いた。
拡大する差別、縮小する運動の射程
「2013年の新大久保の時は、ある市民団体がヘイトをしている、という形だった。でもいまは違う」と木村氏は言う。国会に議員を送れる政党が「日本人ファースト」のような差別的なモットーを掲げ、それが票を集める時代になった。
背景にあるのは生活苦だと彼は見る。「生活がキツくなったら、誰かのせいにしたくなる。それが『外国人が悪い』という方向に向かう。なぜなら、楽だから」。
そしてそれを意図的に利用しようとする政治家がいる。
「外国人経営の飲食店への在留要件引き上げのような「何の意味もない」政策が、堂々と実施され喝采を浴びる。」
「官制ヘイト」――「いままでの日本の当局であれば恥ずかしくてできなかったことが、いまは平然と行われている。しかもそれが絶賛されている。それは大問題だ」。
「差別」と「ヘイト」はどちらも、属性によって人に不当な扱いをすることを指すと木村氏は定義する。国籍、宗教など。「古典的な意味で使っている」という言葉が印象に残った。
「人は差別心を持ってしまう、これは仕方のないこと。だが、それを煽ることは別の話だ」という木村氏のその区別の冷静さには説得力があった。
読書会では、右翼の巨匠・小林秀雄も読む、と木村氏は言った。
『WiLL』や『Hanada』といった、立場の異なる雑誌を読むことについても、「むしろ読めと思う」と彼は言った。
「読むことと賛成することは違う。知って、理解しないといけない」
「立場を持つということは、ほかの立場の人たちと「少しだけ違う」ということに過ぎない。相対的な違いであって、だからこそほかの立場の人たちのことをまず知り、理解することが必要だ」。
「それは共感したり賛成したりすることとは違う。その違いは大きい」。
そもそも今の世の中は、みんな読んでいる本の数も種類も少ない、と木村氏は嘆く。「小林秀雄といえば日本の右翼の巨匠だが、特に古文を論じている文章が読んでいて面白い。リベラルも左翼も読むべきだし、気に食わなかったら批判すればいいだけの話」。『WiLL』や『Hanada』も同じだという。「批判などする前にいちど頭に入れる必要はあるが、僕たちは立場の違う相手のことをもっと知るようにしなきゃいけない」。
細野晴臣と小林秀雄――知の方法論
「本を読まない人に共通知を作り出していけばいいか」という私の問いに対して、木村氏は小林秀雄の話を続けた。
「小林は、自分がいままで読んできたことについて、何をどこから引っ張り出して新しいものを作り出していくか、ということにとても関心を持っていた」。
「そのような刺激は、人が必要とするものであり、社会を回すためには不可欠なもの」であり、「いま『日本人ファースト』と言っている人たちにも届かないはずがない」と木村氏は言う。
「そしてそういう、刺激になりうることを発信し続けるしかないと思っている。届くかどうかわからないけれど、発信し続けるしかない」。
「僕たちは休むことができない。次から次へと新しいことを考える必要がある」と彼は続ける。「より前に進むような次のステップを提示するような議論は、まだ起きていないと思う。そういうものをどうやったら実現できるか。それは、発信する側、活動する側が、常に新しいものを求め続け、小林のように、これまで読んだあらゆる本から、良いと思うものを引っ張り出していくことにあると思う」。
そのとき木村氏が持ち出したのが、音楽家・細野晴臣の名前だった。「細野晴臣は、世界中の音楽を聴いて新しいものを創造してきた。細野と小林の姿が重なる。本当のクリエイター、本当の知で勝負するとはそういうことなんだと思う。そういうことを僕たちはやっていきたい」。そして少し笑いながら付け加えた。「僕らの場合はそれが『参政党を倒す』とかになるけどね」。
「届かないはずがない」という確信の根拠は、最後まで語られなかった。発信できる媒体は多いようで限られている。その外にいる人々に、どう届くのか。木村氏の言葉の明るさと、疑問の狭間で、私は考え込んだ。
先輩はキング牧師――「先鋭化」をめぐって
「路哲」の活動が「先鋭化しすぎている」という声に対して、木村氏は迷わず答えた。「僕たちの先輩はキング牧師です」。
キング牧師の時代、黒人が白人に対して意見を言ったり、反対する何かをやることは、あり得ないことだった。「それをしたら殺される、というような社会状況だった」。そんな中で、「差別反対」というプラカードを持って、白人が有力な街に入っていくことは、殺されることを意味した。「実際に人も死んでいた。そういう時代を考えると、僕はやりすぎとは思わない」。
なるほど、少なくとも彼らのカウンター活動の正当性は、そうした自己認識の上に立っているということだ。
ただ、キング牧師との比較がどこまで客観性を持つかはなかなか難しい。
「参政党を倒す」「差別を許さない」という言葉が具体的な目標として口をついて出るとき、この運動の政治的射程はどこまで設計されているのかという問いも頭をよぎる。
言葉を持つまでの時間
「確固たる自分の主張はどのようにして醸成していくか」と聞くと、木村氏は少し間を置いてから、自分自身の話を始めた。
「もうすぐ60だけれど、たとえばいま原稿用紙を目の前に出されたら手が止まらない。でもそうなったのはここ5、6年の話」。それまで、レポート、論文、プレゼンをする場面では「言うことが無い」ように思っていたという。
変わったのは、さまざまなものを生で見ていくうちだった。たとえば在日コリアンの葬儀で、目の前で皆が泣き叫ぶような様子を目の当たりにした。「そういう経験が、少しずつ変えていった」。
その話を聞きながら、私は自分自身のことを考えていた。言葉を持つためには、経験が要る。経験を言葉に変えるには、時間が要る。木村氏がその、あるしゅの回路を身を持って知っているのは、確かなことだと思う。
ただ、木村氏が活動していたこの十数年の間に、少なくとも差別をめぐる日本の政治情況は悪化した。「より前に進むような議論はまだ起きていない」と木村氏自身が言う。では、その議論を起こすために、何がどこでどうやって必要なのか。私はそれを聞けなかった。
最後に、社会に向けて訴えたいことを聞いた。返ってきた言葉は短かった。
「差別するな。それだけです」
潔い。そしてその潔さに、私は少しだけ羨ましさを覚えた。
いろんなものを削ぎ落とした先に、これほど澄んだ言葉が残るのだとしたら。
帰り道、600回を超える活動がどれほどの努力のもとで開かれていたのかと思った。それを突き動かしている「差別に抗したい」という思いについても。
「私は自分の勉強に、まだ結論を出したくないと思っていて。」
私がそういうと、木村氏は「出さなくていいと思う」と言った。経験が自然と身体を動かすということだと理解した。
しかし全ての人が何かしらの経験をできるわけではない。経験の、あるしゅの「格差」と言っていい。木村氏が在日コリアンの葬儀で泣き叫ぶ人々を目の前にしたような、そういう経験を持てなかった人に、この運動の言葉はどう届くのか。
その方法論は、まだわからない。
私は今後も日本社会のさまざまな「主張」について、取材を続けていく。
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